二つの秘密

正月には門松やしめ縄や鏡餅など飾り付けをして、神社仏閣に初詣に行き、初日の出を見に行く方も多いと思います。私たちは一連の作法を通して、一年間を平穏無事に過ごせるように神仏(ご先祖様を含む)に祈りを捧げ、神仏は慕う者を見守ってくださいます。

これまでの人生において、神仏の導きを得て困難な状況を乗り越えることができた実感のある方もあれば、今この瞬間に困難の渦中にあり、八方塞がりに感じている方もあるかもしれません。どうすれば神仏のご加護を実感として得ることができるのでしょうか?神仏の視点に立って見てみるといくつか見えてくるものがあります。

まず、神仏が現世に生きる私たちを見守ってくださる状況を、親が子供を見守っている状況に置き換えて考えてみます。例えば、1歳前後の幼児のいる家庭をイメージしてみます。かわいらしい幼児がつかまり立ちを覚え、伝い歩きを始めています。手を放して歩き出そうとするのですが、うまく歩けずよたよたと転んでしまいます。

こんな時、親としては何ができるでしょうか?周囲や足元に危ないものがあれば取り除くでしょう。手を少し添えるぐらいの補助をするかもしれません。でも、「歩く」ことは本人が身体で覚えることであり、親としては子供の成長を信じて「見守る」しかありません。

神仏が私たちを見守ってくださる姿勢は、両親が子供の成長を見守り、祖父母が孫の成長を見守る姿勢と変わりません。未熟な私たちにとっては困難な状況であっても、神仏から見て「自分の足で歩ける力がある」と思えば、あえて手を出さずに私たちを「見守る」という姿勢をとられるかもしれません。この状況を仏教の専門用語で『如来の秘密』といいます。

一方で、私たちが困難な状況にあるときに、神仏が正しい道(救いの道)に導こうと、実は(家族や友人、身体の不調、草花や自然、行政サービスなど様々な形をとって)手を差し伸べてくださっているにもかかわらず、私たち(受け取り手)の心が閉じていて、その助けに気づけないということもあるかもしれません。このような状況を『衆生の秘密』といいます。

困難な状況にあるときには、どうしても視野が狭くなり、周囲が見えなくなり、心が閉じてしまい、周囲の声が耳に入りにくくなりがちです。そのようなときには、一息ついて、大地を踏みしめてみて、周囲を見渡してみて、自然と入ってくるメッセージに耳を傾けてみると良いでしょう。地に足がついた状態に戻り、半歩ずつでも歩み始める勇気が湧いてくるかもしれません。

私たちが生きている現世には幸せなことも苦しいこともあります。幸せなこと楽しいことうれしいことが多いに越したことはありません。そのようなときにはその体験を十分に謳歌すると良いでしょう。幸せな体験が生きるエネルギーとなり私たちの人生を根底から支えてくれます。

一方で、困難な状況に直面しているときには、この課題は精神的に成長するために神仏より与えられた試練である、と考えてみると良いかもしれません。そもそも私たちが現世に生まれてきた理由は、試練を乗り越えることで精神的に成長することにある、と捉えることもできます。

「この世でのすべての体験は魂の成長のためにある」と考えてみると、好ましい体験であっても好ましくない体験であっても、すべての体験が意味があるものに見えてくるのではないでしょうか?この一年間が一人ひとりにとってより意義深い年となることをお祈りしております。

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◆執筆者プロフィール◆ 
 井上寛照
 医王山安養寺住職
 高野山金剛峯寺阿字観能化
 日本心理学会認定心理士
 サイモントン療法協会認定スーパバイザー
 IMA認定MBSR(Mindfulness-Based Stress Reduction)講師
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