筏のたとえ

朝晩がずいぶん涼しくなり、
日増しに秋らしさを感じるようになっています。

私は夏の疲れがやっと取れて、
猛暑の間は放置していた草刈り
や事務整理などに取り組んでいます。

これから1ケ月間は、
新たなる学びを進めるにあたり、
資料の整理に取りかかろうと思っています。

これまでに私が学んできたことの中には、
今取り組んでいる活動に役立っているものもあれば、

過去の自分にとっては有益であったものの、
時の経過を経て、今は不要になったものもあります。

不要なだけならまだよいとして、
過去に身につけたものが、時として、
今は手かせ足かせとなっていることもあります。

あなたはいかがでしょうか?

過去に得た知識や資格などに縛られ、
窮屈に感じることはありませんでしょうか?

そのような状態に陥っている時には、
仏陀の説かれた「筏のたとえ」が参考になります。

≪筏のたとえ≫

修行者たちよ、絶対的な安楽を得るために、
こだわりの心から開放されるために、”筏のたとえ”を説こう。

ある時、道行く旅人が大河に出会った。
こちらの岸は危険であり、向こうの岸は安全である。しかし、船も橋もない。

そこで、旅人は考えた。
「大きな河だ。でも、船も橋もない。
 葦や木や枝を集めて筏を作り、手足で漕いで渡るしかない。」

そこで、旅人は、葦や木や枝を集めて筏を作り、手足で漕いで渡った。

次に、旅人は考えた。
「この筏は大変役に立った。この筏のお陰で大河を渡ることが出来た。
 この筏は捨てるには惜しい。担いで道を歩いて行こう。」

さあ、この人は、適切な行動を取ったと言えるであろうか?
弟子たちは「いいえ」と言った。

仏陀は続けた。
では、どうするのが適切か考えてみよう。

「この筏は大変役に立った。この筏のお陰で大河を渡ることが出来た。
 だが、この先は不要である。この筏を岸辺に置いて道を歩いていこう。」

このような判断こそ、適切な判断である。

修行者たちよ、絶対的な安楽を得るために、
こだわりの心から開放されるために、私は”筏のたとえ”を説いた。

どうか修行者たちよ、このたとえの意味をよく理解せよ。

正しい教えですら捨て去るべき時がある。
誤った教えであれば、なおさら捨て去らねばならない。

(パーリ語「中部経典」寛照意訳)

過去には機能したものも、
役割を終えたものは手放すことが大切なのです。

しかし、そうは言っても、
手放して良いのかどうか判断に迷うことがあると思います。

私は判断に迷った時には、考えることを止めて、
「止観」の瞑想に入ります。

「止」は「思考を止める」こと、
「観」は「心を観る」ことを意味しています。

頭で考えるのではなくて、
心の中から湧き出る叡智の声に耳を傾けるのです。

手順としては、以下のようになります。

1.身体を緩める

柔軟な発想は、
心身ともにリラックスしているときにこそ出てくるものです。

柔軟体操をして、身体の緊張をほぐします。
身体の緊張がほぐれるにつれて心の緊張もほぐれていきます。

2.思考を止める

呼吸に意識を向けます。
吸う息と吐く息を意識しながら、ゆっくり呼吸をします。

呼吸の流れに意識を向けることで、
次々と移り行く思考の流れを止めることができます。

呼吸が深くゆったりとなるにつれて、
心の状態もゆったりと穏やかになってきます。

3.心を観る

身体の緊張がほぐれ、呼吸も心もゆったりと穏やかになれば、
その心地よさをしばらく味わいます。

心身ともにリラックスした状態で、判断に迷っている課題に目を向けます。

A案が良いのか、B案が良いのか、
あなたの叡智はどちらを望んでいるのでしょうか?

頭で考えるのではなくて、
心の中から湧き出る叡智の声に耳を傾けるのです。

「これだ!」「私はこうしたい!」と力強く湧き上がる声が聞こえれば、
それがあなたにとって正しい判断です。

確信が持てなければ、納得できるまで、
何度でもあなたの叡智に問いかけてみてください。

きっと確信が得られることでしょう。
迷った時には「止観」の瞑想を試してみてください。

執筆者プロフィール
井上寛照
医王山安養寺住職
サイモントン療法認定スーパバイザー

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