静けさに身をおく

すっかり新緑の季節です。
いかがお過ごしでしょうか?
 
私は週に何度か、
健康と気分転換のために
近くの山道を1時間ほど歩きます。
 
この時期は、山々が、
薄い緑から濃い緑まで
緑のグラデーションで彩られ、
若葉の新鮮なエネルギーで、
心も身体もすっかり浄化される
ようで、とても心地よいものです。
 
心は、本質的に、
無色透明の水のように
清らかに澄んでいるもの、
と仏教ではとらえています。
 
無色透明の水に、
明るい色素を落とすと
明るく染まり、
暗い色素を落とすと
暗く染まるように、
 
心の状態も、
明るい環境にいれば 、
明るく朗らかになり、
暗い環境にいると、
暗く荒んでしまいます。
 
心は、良くも悪くも、
周りの環境に影響されるため、
身をおく環境を整えることは、
とても大切です。
 
きちんと整頓されて、
きれいに掃除が行き届いている
部屋にいると気持ちが良いものです。
ゴミで足の踏み場もなく、
掃除がまるで行き届いていない
部屋にずっといると気分も沈みます。
 
また、お付き合いする
人間関係もとても大切です。
いつも善良な友人のそばにいると、
健全なエネルギーに感化されます。
いつも悪友のそばにいると、
荒んだエネルギーに感化されます。
 
しかし、そうはいっても、
学校や職場や地域社会など、
人間関係を選べないことも多く、
身も心も休まることがない
という方も多いことでしょう。
 
平安初期の仏教界の偉人である
空海も、煩悩の渦巻く俗世間の
人間関係には手を焼いて
おられたようです。
 
空海は、次のような言葉を
残しておられます。
 
それ境、心に随って変ず。
心垢るれば境濁る。
心は境を逐って移る。
境閑なるときは心朗かなり。
心境冥会して、道徳玄存す。
(空海著『性霊集』)
 
環境は心に従って
変化するものであり、
心が汚れていると環境も濁る。
心は環境とともに
移り変わるものであり、
環境が静かであれば、
心も落ち着いて朗らかになる。
心と環境が絶妙に合致すると、
道が開け徳が備わるのである。
 
晩年の空海は、
京都の東寺を拠点に、様々な
社会活動に取り組まれましたが、
1年間のうち3ヵ月は、
自然の豊かな高野山に籠って、
坐禅修行に専念されたといいます。
 
標高900mの山頂にありながら、
水鳥が舞う豊かな水に恵まれた、
高野山の大自然にどっぷりと浸り、
身心の疲れを癒し、英気を養う時間
を大切にしておられたようです。
 
私たちも定期的に
日常の環境から離れ、
草花や樹木の色や香り、
鳥や虫の声、青空に浮かぶ雲など、
大自然を感じられる環境に身をおき、
身心の疲れを癒す必要があるようです。
 
安養寺でも、定期的に
大自然の息吹を感じながら瞑想
を実践する会を開催しております。
どうぞ気軽にお立ち寄りください。

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◆執筆者プロフィール◆ 
 井上寛照
 医王山安養寺住職
 高野山金剛峯寺阿字観能化
 サイモントン療法認定スーパバイザー
 MBSR (Mindfulness-Based Stress Reduction) Teacher
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