菩薩道を歩む<持戒>
大乗仏教では、僧俗を問わず仏道を歩む者を「菩薩」と呼びます。そして、菩薩道の具体的な実践として、六波羅蜜(六つの実践:布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)を勧めています。ここでは六つの実践のうちの持戒について紐解いてみたいと思います。
持戒とは「戒を持つ」と書きます。「戒」というと、自由を奪われるようで息苦しさを感じる方が多いかもしれません。一般社会では憲法・刑法・民法・道路交通法・学則などたくさんの規則があり、その規則を破ると罰則や罰金を課せられることがあります。
しかし、菩薩道における「戒」とは、自由を奪うものではなくて、むしろ心の自由を取り戻す道標となるものです。幸せな人生を送るために、道を外れないように、仏陀が道案内してくださっているのです。
真言宗では僧俗ともに実践するべき持戒として十善戒と三昧耶戒があります。ここではその内容をかみ砕いてお伝えいたします。
<十善戒>
不殺生=生きものを殺さないこと。その生命を生かすこと。
不偸盗=他人のものを盗み取らないこと。
不邪淫=人の道を外れた淫らな行いをしないこと。
不妄語=嘘をつかないこと。
不綺語=他人の心を惑わせるようなことを言わないこと。
不悪口=悪口や陰口をたたかないこと。
不両舌=他人の仲を裂くようなことを言わないこと。
不慳貪=欲望のままにむさぼらないこと。物惜しみをしないこと。
不瞋恚=怒りにとらわれないこと。
不邪見=因果の道理(原因があり結果がある)を外れた見方をしないこと。
<三昧耶戒>
信心=仏法(仏の教え)を信じて疑わないこと。
大悲心=他者をいたわり救済しようとする慈悲の心。
勝義心=世俗にあっても真理(空)を理解しようとする心。
大菩提心=菩提(悟り)を求める大いなる心
弘法大師(空海)は著書『三昧耶戒序』において「この戒を保つ者は僧俗を問わず真言密教の行者である」と述べておられます。
< 中 道 >
仏陀(お釈迦様)は仏道(菩薩道)を実践するにあたり、「中道を歩む」ことを説いておられます。例えば、弦楽器の弦は、緩みすぎず張りすぎず、絶妙な張り具合のときに、琴線に触れる音を奏でることが出来ます。菩薩道の実践も、緩みすぎず張りすぎず、中道を歩むことで良い波動が周囲の人々にも伝わり、周囲の人々を引きつけます。
中道を歩むためには、心身の状態が「今この瞬間」にどのような状態にあるのか、「ありのままに気づくこと」が必要となります。昨日と今日でも、朝起きた時と今この瞬間でも、心身の状態は違っています。
菩薩道を正しく歩んでいると気づいた時には、心の中で微笑んでみると良いかもしれません。一方で、もし菩薩道を外れていると気づいた時には、自分を責めるよりも、そのような状況に追い込まれた自分自身の心身をいたわりつつ、軌道修正することが大切です。
菩薩道を外れるに至った背景には何があるでしょうか?正しい道を知らなかっただけかもしれません。自分の心や身体を守ることに必死だったのかもしれません。もし自分自身の心や身体が傷ついているのであれば、傷ついている子供をいたわるように、自分自身の心と身体をいたわり、温かく包み込み、心の中でやさしく微笑みかけます。
『大日経』という経典の中では、「悟りとは何か?」という問いに対して、「如実知自心(ありのままに自分の心を知ること)」と説かれてあります。持戒はそのための道標となるものです。
自分自身の心に真摯に向き合う実践を積み重ねることで、自然と他者への言動が変容していきます。慈悲深い言動となってあふれ出していきます。それが菩薩道を歩むことといえます。